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美しい熱帯の風景、輝く太陽… フィッツロイ島やグリーン島で贅沢なバカンス気分を楽しんでいるとき、今日はどんなカクテルを飲もうか、と頭を悩ませることはあっても、過去の暗い歴史を想像することはできないでしょう。
しかし、この島には今日ののどかな雰囲気とはまったくかけはなれた、悲惨な記憶が残されているです。 1877年、貨物船サマセット号で天然痘が発生したとき、フィッツロイ島は中国系移民の隔離検疫所として使われました。 当時、大勢の中国系移民が金採掘のためにノースクイーンズランドに流入していましたが、これを快く思わない植民者がいたため、人種的な緊張状態が起きていたという背景がありました。
一時は3000人を超える中国系移民がこの島に輸送され、不衛生な環境で生活することを強いられました。そのため、病人や死者が続出しました。 すべての中国系移民は、検疫のためこの島に16日間滞在しなければいけませんでした。 16日後、もし健康ならばオーストラリア本土への入国が許可されました。 しかし、もし病気にかかっていた場合は、回復するか死亡するまで、留まらなければいけませんでした。 残された記録はあいまいなものですが、およそ数百人の中国系移民がこの島に埋葬されていると考えられています。
隔離検疫所が廃止されると、ケアンズの人々はこの島を訪れて余暇を楽しむようになりました。 また、第二次世界大戦中には軍事基地として利用されていました。
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